文芸同人「間」

趣旨

(創刊号「創刊の言葉」)

何かを見たり聞いたりしたときにそれをそのまま受け取れるわけではない。

例えば人が何かを見たとき、その終着地点を脳とすると、脳に届くまでには空気や眼鏡、眼球、視神経といったものが間にはさまっている。時間を止めでもしない限り、それらがまったく同じ状態でいることはない。そして違うものの上を通ってきたもの同士がまったく同じであることも、おそらくないだろう。

つまり、誰かが何かを見た時、脳に届けられる情報は、一緒に見ていた他の誰かが受け取るそれや、違うときに同じものを見た自分のそれとは異なったものになる。同じものを見たのに違うことを感じるのは、「見た」が既に異なっているのだから、まったく自然なことだ。ただし、感じたことを言葉という記号に落とし込む時、あまりに似ている感じは同じ言葉に当てはめられてしまうことがある。それでも、言葉になる前の「感じ」がまったく同じことはないのだ。

どんな言葉にも言葉になる前の状態だったときがあり、そこには必ず「間」の力が働いている。我々は普段はそんなことは(私を含めて、たぶんほとんどの人は)意識していない。でも、たまには意識してもいいんじゃないかと思う。

それを意識してみたらどうなるのか。例えば、それを意識して書かれた文章がそうでない文章とどう違ってくるのか。「間」そのものを描くことはできるのか。既にそれを志向している作品はあるのか。そういったことを探求してみるのが本同人の趣旨である。

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